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この記録を終わるに当たって、自分の人生観のようなものを、結びとして整理してみたい。
人間はどんなに長く生き、またどんなに修業した人でも、生きている限りは、霞を食って生きていることはできない。衣食住の生活条件と動物としての肉体的条件の制約は免れることはできない。しかし、動物とちがって、本能だけによって生きているのではなく、肉体とともに精神を有し、自己を自覚しながら、それを陶冶、訓練し、学問、技術を学び、環境に支配されながら、それに適応し、それを改善をして生きなければならない。しかも、一人では生きられないので、家族や集落・国家・その他のいろいろの社会集団をつくり、共同体の中で生きている。さらに、現代は世界各国と国交を結び、経済的・文化的に密接な国際関係の中で生活している。それだけに、人間は動物とちがって、感覚だけで外界に接し本能のみで生きているのではなく、言葉や文字、あるいは映画・テレビ等によって、直接自分で経験したことのない、観念像の世界に生きているもので、自己の体験しない他から与えられた知識や既成の学問、思想あるいは社会制度などの支配を受けている。特に、知識階級といわれる人はそれに支配されることが大きい。
夏目漱石は『草枕』の冒頭に「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高(こう)じると、安いところへ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れ、画ができる」と名文句を述べている。これは人間は、動物とちがって、既成の世の中の秩序や慣習の中で生きなければならない苦悩と人生の意味を書いているのであろう。それだからそこに芸術が生まれ、絵や詩を生むことのできる芸術家は幸せである。またそれによって人の世に潤いと美が生まれるのであるが、しかし、芸術家も浮世の生活に煩わされなければならないことは、漱石も『道草』の中で書いている。
その上に、社会人の共同生活を秩序づけ、その安全を維持するためには、礼儀・作法の躾や、道徳や学問の教育が必要であり、さらには、法律をつくってこれを規制し、政治や行政が必要となったり、法律を守るためには、裁判所や刑務所も必要となる。国と国との対立に対して国家の独立と安全を守るためには軍備さえ必要となる。
一方、人間は知識が進むと、自我の自覚が発達し、未来を考え、理想をもつとともに、人間は死ということを知る。そして、人間は自己が有限の存在であることを自覚し、人生の無常を感ずると、これを解決しようとして、哲学や宗教にそれを求めるようになる。
人間が知識、理性の発達によって、環境と自己との関係を明らかにし、学術文化を発達させるとともに、宗教によって生死の問題を解決するということは、人間が動物性を脱却し、我欲・我執を抑制・解消するための最も高度な生き方である。
理性・知識というものは人間だけが持っているもので、自我を自覚し、社会の経済や文化を高めるためにきわめて貴重なものである。近世の産業、文化の進歩は、人間の知識の解放による科学の発達によることが多い。しかし、人間の知性というものは人間の機能の一つであり、人間の自己形成のためにも、社会生活との調和のためにも、知だけでなく、人間がもっている感情、意志との調和、即ち、知・情・意が調和統合された人格(パーソナリティ)が向上しなければ、却って知識だけが独走し、動物的欲望と結合して、人間性(ヒューマニティ)を蹂躙(じゅうりん)したり、社会の安全と平和を破壊したりする凶器として用いられるようになる。
特に人間の抽象的な観念が、体験された事実から離れて、欲求と想像と集団性と結合すれば、一種の集団信仰のようなものが成立する。それが権力の手段として利用されると、人間は神の名により、あるいは国家とか正義とか、主義とかの名によって、例えばナチスのユダヤ人虐殺や革命裁判や、文化革命の狂乱又は連合赤軍事件のような、人間的な心情や理性を失ったことが行われることもある。
この近世の知識万能の思想と、人間の持つエゴイズムによる人間の運命について、ゲーテは『ファウスト』を書いた。その「天上の叙曲」において、メフィスト・フェレス(悪魔)は、主(神)に向かって、
あんたが あいつらに 天上の 反映(かげ)を遣んなさなかったらネ あいつァ(人間は)其れを理性(フエルヌンフト)と呼んで 其ればかり使い廻わして その結果はどの毛だものよりも 毛だもの臭(くさ)くなっただけですぜ (富永半次郎先生訳) |
という科白(せりふ)を述べさせて、人間の悲劇を書いた。
これは、現在の世界が、原爆や水爆を作って、その下で戦慄(せんりつ)していることを予見しているような気さえする。
富永半次郎先生はこの人間精神の実相を明らかにし、その我執と迷蒙(めいもう)を解消して人間の完成すなわち正覚に達する道を求め、古今東西の思想を探求された結果、その最も完成されたものとして、古代印度の釈尊の正覚に到達された。そして、それを説かれたのが『釈迦仏陀本紀』及び『本紀余論』である。
私が本書の最後に、自分の浅学をも顧みず、人類思想史において最も高度な、しかも最もむずかしい問題をとりあげ、「富永半次郎先生と仏教思想」について書いたのは、自分なりに人生の問題について迷い悩み、自分の世界観・人生観を確立したいと思い、その解決を先生の教えに求めたからである。即ち人間として良心的に生き、戦後の社会思想の混乱や対立の中で、行政の担当者として、社会事象を判断するためや、日本の法律や制度の中にある西洋の法思想と日本人の法律観念の関係の問題、更には、明治以来の日本が輸入した西洋の思想・文化と日本人の国民性や、考え方についての問題を明らかにするために、人間の知識の本質、人間の精神作用の問題について、自分なりに明らかにしたいと思い、その指針を富永先生の教えに求めたのである。
したがって、仏教を学問的に説明するとか、これが、本当の釈尊の教えだとかを主張するものでない。もちろん、富永先生の教えがこうだとか言って、その教えを宣伝するものでもない。
本来、宗教心というものは、人間が理性に目覚め、自己を知り、人生の無常を観じ、生死の問題に当面して感ずる意識に根ざすもので、人間である以上、深浅の差はあっても何人も持っている大切な心の問題である。その信仰対象や、それを教えるための教理、修業の方法及び社会慣習や、国法との関係は、国により、時代によっていろいろある。宗教は人間精神の深層にある心の問題であって、理論や理屈で解決できる問題ではないので、近代の自由主義国家では、宗教信仰は各人の自由に委せている。これは、国家がある宗教を強制したり禁止したり、あるいは宗教による差別をしないということで、宗教を否定したり、軽視したりするということではない。西洋諸国の多くは、社会生活の基礎にキリスト教の信仰があり、人間教育の根本と社会生活の基礎を宗教においている。
日本人は前に述べたように、古くから仏教を大陸から輸入し、これを日本人の伝統の精神や生活様式と調和し、同化して国民生活の中に生かし、国民精神を高め、国民文化をつくってきた。特に、武道や茶の湯、活花、あるいは能楽等は禅の修業方法やその精神をとり入れて発達した。
戦後、人心の荒廃や社会思想の混乱に対し、日本文化の見直しや、海外の日本研究が盛んになって、日本文化は何でも禅であるようにいって、禅ブームなどといわれる傾向もある。
禅、特にその修業方法である座禅は、心を落着け、心身の調和をはかり、抽象的知識に捉われた概念妄想を脱却するための修業の一つの方法としては勝れているであろう。しかし、これを観念的に学ぶと、一つの抽象観念から他の抽象観念に捉われるだけの野狐禅や、言葉だけの口頭禅になったり、一つの形式や直感だけを頑固に守る寒巌枯木と言われる、心の自由な働きを失った強情我慢にとなるのではあるまいか。
一番大切なものは、観念作用である知識と生(せい)の作用である感覚・知覚を結合し、それを融合し、コントロールする心の舵(かじ)である。富永先生の教えによる釈尊の正覚で述べた知識と感覚・知覚、即ち精神と心情を調和総合させるサンカーラーの完成である。
私は前にも述べたように、西村大串先生について、道元禅師の正法眼蔵を教えていただいた。また、紀平先生の『無門関の解釈』や橋田邦彦先生の『行としての科学』を通じて、禅と科学知識の関係を教えていただいた。禅の公案や禅についての書物なども少しは読んだ。また、毎日の生活の中でも、毎夜、寝る前には心を落着け、雑念を払うために、座禅の形で静座をするように心掛けている。しかし、禅の本格的な修業をしたこともないし、山岡鉄舟、勝海舟などの伝記を読んでも、剣やその他の芸道などの修業と併せて心身を鍛えないと達成がむずかしく、自分などには及びもつかない道であると思っている。
この文章を書いている中に、桑原知事の揮毫された、『碧巌録』第二十則、「龍牙西来無意」(りゅうげせいらいなし)の雪竇(せつちよう)の頌(じゆ)にある「遠山無限 碧層々」の句に深く思い入ることがあった。
『碧巌録』 第二十則「龍牙西来無意」は龍牙(りゆげ)が修行中、当時の高名な師家であった、翠微(すいび)・臨済(りんざい)・徳山に順次に参じて、「祖師西来の意」(仏法の根本義)を問うた。各師家はそれぞれの自家の禅法をもって教えたが、龍牙は開悟することができなかった。最後に洞山良价(とうざんりようかい)の許に至り、これまでの経緯を述べ、洞山の教えによって省悟することができて、後に洞山を嗣法した。
碧巌録の撰述者雪竇は本則において、龍牙と各師家との問答と禅機の葛藤(かつとう)を述べ、頒に、 「這(こ)の老漢也未だ勦絶(そうぜつ)するを得ず、復(また)一頒(じゆ)を成す。盧(ろ)公に付し了るも、何ぞ憑(よ)らん。坐倚将(ざいもつ)て祖燈を継ぐことを休(や)めよ、 対するに堪へたり暮雲(ぼうん)の帰って未だ合せざるに、 遠山限り無く、碧層層(へきそうそう)」 (朝比奈宗源訳、岩波文庫版) |
この頒の句「遠山無限 碧層々」を、特に桑原知事に揮毫していただき、これを巻頭に掲げ、本書の書名ともした。
龍牙のような俊才でも、また教える師家がどんな錚々(そうそう)たる当代の巨匠であっても、時節因縁が熟さなければ祖師西来の意を悟(さと)ることはできない。
私などが、富永先生の教えを学び、それを自分の学問、人生の上に生かしたいと思っても、「遠山無限」であって、「碧層々」の彼方の碧空に仰ぐだけで、道は遠く、遥かである。そして、自分の実際に歩いている道は、平凡な身近な野道や低い丘陵のようなものだ。
富士山は遠方から望めば、八面玲瓏(れいろう)、一点塵もないように見える。これを芸術家が描けば崇高な美しい富士が生まれる。実際の登山者が歩いてみれば、ゴロゴロの火山岩や大きな亀裂、危険な地崩れもある。しかし、富士山が美しい霊峯であることに変わりはない。
実際の人生や社会生活の実情もそうしたもので、幾多の内心の悩みや世上の矛盾や困難もあり、不慮の災難や不幸もある。その中でいかに正しい人生の道を求め、自分を失わないかということであろう。
まして自分のような菲才無能で、しかも貧乏と病弱の身で辿(たど)って来た道はせいぜい低い里山くらいで、時には竹藪や雑草に迷いこんだり、蔓草(つるくさ)に足をとられていることも多い。
富永先生にお目にかかり、その教えを受けることにより、自分の立っている足元の低いことが自覚され、悟ったとか、道を得たとかと思っていい気になるようなことはない。また、世間的に大家だとか、権威者だとか言われている人もその高さが段々と見当がつくようになり、肩書とか、ジャーナリズムの名声などに余り驚かないようになった。
特に、イデオロギーだとか、横文字を縦に直しただけの抽象的理論などには恐れ入らなくなった。また、神様がこう言ったとかいって効能や利益(りやく)を説いたり、超能力や神秘主義などを説く言葉にも心を奪われたりはしないようになった。その人が、どんな主義や宗教を持つかではなく、どれだけ私心を去った公正な見識を持っている人物であるかを見ることが一番大切であると思う。
戦後の我が国は敗戦の中から立上り、新しい憲法の下で、政治的・社会的の体制の改革を行い、科学技術を輸入し、産業経済の復興を行ったため、僅か三〇余年で産業は発展し、生活は向上した。国民の平均寿命は世界でも最も高い水準に達した。
これはまことに慶賀すべきことである。国際的な条件や科学技術の発展によることも多いが、それは自然現象のように、外的条件のみによって、自然、必然的に実現したものではない。国民経済とかGNPといっても、それは一人一人の人間が、汗と脂を流した努力によって成し遂げられたものである。外来の科学や技術を輸入したといっても、それは一人一人の人間によって習得、運用されるもので、その根本にはこれを受け入れ、それを実行した日本人の精神と資質、即ち人間の問題があることを忘れてはならない。
日本人は過去においても大陸の文化を受け入れて、前に述べたように、儒教も仏教もこれを太古以来の日本の国土において、農耕生産の中で自然に成立した惟神(かんながら)の道と総合、同化して国民文化を形成した。明治時代は西洋の科学文明を受け入れたが、和魂洋才という言葉のように、人間教育の基本には日本の国家体制と国民の伝統精神を失わないようにした。
ところが、戦後は敗戦と占領行政によって国民は虚脱状態に陥るとともに、占領政策に従って、国家体制を変えるために、歴史を否定した。日本の伝統精神の象徴の神社崇拝を憲法違反と言ったり、儒教や仏教は非科学的な迷信のように言って、信教の自由を宗教教育不用と思っていたり、はなはだしいのは道徳教育反対と言っているものもいる。これでは、人間精神の自主性と主体性を否定した唯物論と、一元的歴史観による人間の動物化への道ではあるまいか。
人間の心は複雑で、一人の人間でも時により所により、種々変化し、同じ言葉でも意味は違っている。まして民族や国家は多くの人々から成りたっており、その思想や信条は複雑で一様ではない。世界には多くの国や民族があって、人間として共通普遍の面もあるとともに、それぞれ違っていることも多い。それを表面的な一部の事例で判断したり、一定のイデオロギーの眼鏡で見て、社会主義国家だとか資本主義国家だとか言って解釈したり、右だとか左だとか、あるいは、保守だとか革新だとか言って定義して、割切ろうとしても無理な話である。しかも、それを自分の欲求と理窟でつくった言葉で衆を頼んで押し通そうとしては世の中が乱れるのも当然であろう。
これについては、ちょうどこの「結び」を書いている時に、竹山道雄氏が『正論』(一九八二年一〇月号)に「人間は世界を幻のように見る」という題名で、昭和の精神史を総括して述べられているのを読んだ。
竹山道雄氏は以前『時流に反して』を著し、『昭和の精神史』を書かれているのを読んで、その体験と深い学識による公正な主張に深く敬服していたが、私がかねて、日本人の思想の問題について考えていて、この「結び」において述べたいと思いながら、勉強の不足で力が乏しく、何度も書きかけながら、書きあぐねていた問題が、今回の論文において、実に明快に精確に述べられているので、そのことを付記させていただく。
私はこの「結び」を書いていて、戦後の日本人の国民思想の混乱と道義の頽廃が、言葉の乱れに大きな原因があることを痛感している。この問題については、小林秀雄氏の著書によって教えられたことが多い。『わが人生観』『考えるヒント』『歴史について』などの著書・論文等をできるだけ読んだ。特に、畢生の大著『本居宣長』及び『本居宣長補記』を読んで、言葉というものがいかに大切であり、むずかしいものであるかを覚(さと)った。そして、われわれの祖先がいかに自国の言葉を大切にし、大陸の儒教・仏教等の思想や文化をとり入れるに当たり、漢字の訓読(くんよみ)という離れ技をやって、このユニークな方法により、我が国の伝統と大陸の思想・文化の調和と同化を行い、万葉集や古事記を漢字の音や訓を用いて表現するとともに、仮名をつくり、漢字と仮名交じりの文や、仮名による文章や和歌、俳句等を自由自在につくったことに深い感銘を抱いた。
「言葉は歴史の棲家(すみか)である」と言われるように、言葉というものが、人間の精神の形成に及ぼす力がいかに大きいか、むしろ言葉と人間の品性・人格は一体であると言えるであろう。言葉には民族の心が宿っていて、僅か三十一文字によって、万葉集以来いかに多くの和歌が作られ、民族の心が宿っているか、また十七文字の俳句に、いかに日本の自然や人生が息づいているかということを思えば、言葉の大切なことが分かるであろう。
その一方では、言葉は「一言よく懦夫(だふ)を起(た)たしむ」とか、「武士の一言金鉄の如し」とか言って人の心を支配する力をもっているが、言葉は用いる人により、用いる場所によって同じ言葉でも内容実質が異なる場合が多い。特に直接、感覚、知覚によって認識することのできない人間の心情を象徴する言葉や、深い体験を内容とする言葉などはその用いる人によって意味内容が違ってくる。そうした言葉は人と結びついていて、人間を離れては意味をなさない場合が多いことを知らなければならない。それとともに、文章の漢字は、仮名では表わせない伝統的な意味をもっている。まして、西洋の言葉によってその文化を学ぶことのむずかしさを、深く考えなければならない。
また、社会生活や社会道徳に関する言葉は、その社会の健全な常識がなければ正しい意味が通じない。常識という言葉は、小林秀雄氏によればイギリス人のコンモンセンス、フランス人のボンサスの翻訳語であり、当時これを訳した人によって、新しい西洋の知識をもつ知識階級より一ケタ低い一般の民衆の知識の意味に用いられているが、本来の意味は、民衆の長い実生活の経験による確実な知恵であり、かつ生活の規範を含む言葉であって、この健全な常識がないと言葉によって心も事実も通じない。特に、西洋の長い歴史とそれぞれの民族の経験と実生活の上に成立した言葉を、イデオロギーによって作られた固定観念をもって、実生活に根をもたない生硬な漢字を用いて表現した言葉や、概念内容の不明な片仮名の翻訳語が、健全な常識の不足しているインテリや社会経験のない学生によって勝手に用いられて巷に氾濫している。
その上戦後の日本では、核家族化が進み、家庭生活の中から敬語や民族の伝統を伝える言葉が消え、親から子、姑から嫁へと伝えられる生活の知恵が失われた。学校教育においては文字の知識、読み方は教えても言葉の正しい使い方を教える情操教育は疎(おろそ)かにされている。こうしたことは、私自身も日常の自らを顧みて、悔恨の気持をもって戦後の家庭教育と学校教育の荒廃を思うのである。
そして一方では、テレビによって粗雑な言葉が猥雑の行為と一緒になって、幼児から青少年の言行・品性を低下させている。日本人の心を正しく、美しくするには何よりも言葉の教育と国語を愛することが根本であると思う。
私はこれまで、自分が生きてきた七十余年の人生を回想し、生い立ちから、現在までの遍歴の跡を述べてきた。そして、その時代の思想と環境の中で、どのように自分の思想や人生観を形成したかを述べた。それは成功の記録ではなく、病弱の身で失敗を繰り返しながら歩いてきた人生の軌跡であって、これが自分だと言えるようなものを、何一つつくることも達成することもできなかった失敗の懺悔の記とも言うべきものである。
人生というものは人と人とのめぐり合い、ふれ合いの中でつくられ、いろいろな人に接し、その人格に触れ、その言葉や著書や作品によって教えられて、自分というものを自覚しながら、成長してくるものであると思うが、大切なことは、その中でどれだけ、自己を知り、自分の本分を踏みはずさないように生きるかということであろう。
その軌跡をたどり、生きてきた環境条件と、自分の生き方や思想の展開を自分で回顧して書くということ、特に精神の成長を書くということが、いかにむずかしいことであるかということをつくづくと思い知らされた。それは文章についての秀れた才能を要するので、私のような者がそれを書くことには、ためらいもあり、愚かなことでもあると思った。
しかし、自分の心の動きを知るものは自分であり、自分の人生は自分の責任である。殊に、私のように変則のコースをたどり、いろいろの方々に思わぬ機縁によってご恩を受け、教えを受け、また迷惑をかけた者にとっては、それを感謝するとともに自分の人生の反省と締めくくりのために、あえてこれを書いてきた。
私の人生行路は積んでは崩し、崩しては積む―――賽(さい)の河原の石ころ道のようで、面白味も進歩もないものである。中庸を志しながら、生まれつきの不才と病弱で中途半端に終わったことが多い。せめて、ごまかしと無責任だけはやりたくないと思いながらも、努力精進が足りない。
ただ幸いに、晩年は健康が回復し、この年まで生かしていただいた。日暮れなんとして道遠しの思いが強い。命のあるかぎりは本居宣長の『ういやまぶみ』に「詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まず、おこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びようは、いかにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても、怠りてつとめざれば功なし。また、人々の才と不才とによりて、其功はいたく異なれども、才・不才は、生れつきたることなれば、力に及びがたし。されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功はあるもの也」とある言葉を、戒めとも励ましとも思って歩みを続けたいと思っている。しかし、その余力も乏しいので、ここまでたどった跡を書き残すことにした。
古稀の年に書き始めたが、なかなか思うように進まず、ようやく喜寿を迎えて書き上げ、喜寿の記念として世に出すことになった。
なお、本書についてはいろいろの方の励ましやご協力を得たが、特に「富永半次郎先生と仏教思想」については、先生の門下の千谷七郎氏(東京女子医大名誉教授・クラーゲスの研究家)と桜井保之助氏(前国会図書館専門調査員・国際商科大学教授)にご指導・ご助言をいただき、原稿についても再々校閲・訂正をいただいた。また、桜井氏には「戦後の法律と国民の法意識」についても種々ご指導をいただき、国会関係の資料等についてもたいへんお世話になった。
また、全体についての校閲、特に新仮名遣や文章の訂正及び校正等について、愛知県教育委員・宮田力松氏と愛知県陶磁資料館学芸部長・中保進氏から格別のご協力をいただいた。また、県政関係の資料や写真等については愛知県文化会館の片山和夫館長、日下英之文化事業部長以下、館の方々のご協力を得た。
出版については、第一法規出版株式会社取締役東海支社長の宮本正彦氏に以前からすすめられており、同氏の慫慂(しょうよう)と督励を受けつつ、社員一同のお骨折りでようやく出版に至ったのである。
このように本書が世に出るについては、多くの方々のご援助、ご指導があったことを附記し、厚く御礼申し上げる。
また、本書は学術論文ではなく、自分の遍歴を述べるためのもので、詳細の引用書名などは省かせていただき、それぞれのところで、自分が学んだことについてできるだけ記載させていただいた。
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